流行を追い求める心理というのは、どのような力学によって生まれるのだろう。
そんな疑問が湧いて出た。
仮説として、「安心したいからだ」というのが、即座に出た。
しかし、この仮説は言葉足らずで、これだけで納得はできない。
まず、「何に」安心したいのか。
これは、ふたつあるように思う。それは「自分」と「他者」だ。
流行を追うことで――それが流行しているからこそ――そこには数多くの同類の他者が存在を確認することができる。そして、それによって他者との交流が、流行というファクターを通して容易に行なえるのだ。
そして、その他者との交流を通じて、自分という存在の意義、意味を自らに付け、価値を置くことにもなる。交流できる他者との出会いによって、存在する自分を見出すということか。
……とまあ、数分でこんなことを考えてみたものの、実際のところどうなんだろうね。
最近は、「若者の○○離れ」と言われて、流行しているものなんて本当にあるのかと思ってしまうほどだし。
まあ、流行を追いかけない心理というのは、自分の仮説が合っているなら、健康的な心理状態なんじゃないかなと思うんだけどね。存在している自分なんて、流行の有無に関係なく存在しているものなんだから。
それに、流行なんか追いかけなくとも、僕たちは常に他者と交流せざるを得ないのだし、それによって常に存在している自分の状態を確認することはできるんじゃないかな。
あれ、となるとちょっと仮説が間違ってるのか。そうじゃなくて、「仲間」がいるということへの安心がしたいのか?
ああ、もしかしたらそうなのかもしれないな。
分かり合える他者、繋がり合える他者、触れ合える他者、そういうものを求めて、流行の中に入り込むのかもしれない。
……だったら、いまは何が流行しているのだろう。
流行しているものが特にないのなら、つまりは誰もが少なからず「仲間」を獲得していて、現状に満足しているってことか?
あるいは、流行という後ろ盾など必要ないくらいに、「仲間」を作りやすい状況になっているのだろうか。
そんなところまで考えなくても良いのか。
ま、流行するものってのは、そういう意味では「仲間」を作るための道具にしやすいものなのかもしれないね。
そうやって考えると、いまの音楽やら映画やらというのは、「仲間」を作るための道具としては一般的でないものになっているということか。
これ以上は、とりあえずいいや。
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ちなみにオタク系のメディアが流行しているというのは、錯覚だと思う。
最近じゃ音楽がオリコン上位を獲得していて、それが流行しているからだという説明は、きっと錯覚なんじゃないかと疑問に思っている。
オタクの面がある人はオタクの面を見せる人としか「仲間」にならない。なろうとしない。それがオタクの処世術であり、オタク社会を築く暗黙の了解であるように思う。
それゆえに、オタクは、一般人をオタク化させることで「仲間」を増やそうとするのだ。
で、オタクは「どれだけ業の深いオタク」であるかによって、その地位が決定する。オタク社会に存在するヒエラルキーだな。業の深さによって、「一般人以上オタク未満」「ヌルオタ」「オタク」という具合に区分されるんじゃないかな。
その業の深さの証明するものは、知識と消費金額とが主なものとなる。
知識は、対象への周辺情報や、分析や解釈、記憶量――つまりは引き出しの多さのことだ。
消費金額というのは、蒐集質量と言い換えられるが、どれだけお金を注いだか、どれだけ揃えているか、集めているか、所持しているかということ。作品単位で消費するオタクもいれば、ジャンル単位で消費するオタクもいるし、まあ人それぞれだが、結局どれだけ金を使っているかで業の深さが決まるのは間違いない。ちなみに俺はマンガというジャンル単位で消費しているパターンに入る。
ちなみに、人によって異なるが、「業の深さ」が臨界点を突破すると、消費活動に飽き足らず、制作活動を行ない始める。同人誌を書いてみたり、批評をしてみたり、自ら消費するものを作ろうとするのである。そうして、オタクの中で制作者として認められると、オタク社会からある意味解脱した存在になる。
話がそれた。
オタク系のメディアが流行しているというのは、多分錯覚だろう。それは、確かに、比較すればオタク系のメディアの流行が大きくなっているように見えるのかもしれない。
しかし、ここ数年で、多少なりにオタク社会が成長しているのかもしれないが、それは微々たるものじゃないかと思う。
結局、オタクがオタクであり、オタクであり続けるために、オタク系のメディアを消費し続けるために、一定数が維持されているだけじゃないのか。
今回はこんな感じかな。
流行の数が多くなって、追いかける人が散り散りになって、流行の規模が小さくなって、最早流行と呼ばれるものは存在しないんじゃないかと。
服装に関しては、同意ですね。
つなぎは着たことがないんでわかんないんだけど、俺は最近ワイシャツばかり着て、ある意味服装が学生の頃に戻ってきてます。
イトキンは、自分の似合う系統が決まってるから、流行は完全無視です。
イトキン的には纏う服より、自分の心身磨くほうが素敵な人間やと思う。
いくら素敵な服着ても、身体のラインが崩れてたら情けないだけ。
流行なんか糞くらえ!
その流行に流されるのも、流される人たちなりの事情があるのかなとか思います。
ま、最終的に流行に流されなくなって欲しいとは思いますけどね。
身体のラインって大切なんですね。最近ようやく自覚するようになってきまして、とりあえず出始めた腹と、やわな腕を何とかしようと思っとります。
色々調べたところ、かなり頑張らないとムキムキにはならないようなので、締りのある身体(主に腹筋)を目指してみます。
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