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青二才が青二才なりにやってます。
Posted by - 2025.04.21,Mon
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Posted by ダニエル - 2008.03.02,Sun
 苦痛を耐えて、耐えて、耐えて、その先に良いことが待っているからとひたすら耐えているのは滑稽だな。
 痛いのは我慢しなけりゃならないのはどうしてだろう? 何を我慢しなければいけない? 泣くことか、怒ることか、叫ぶことか、痛いことを痛いということか? 誰がそうさせた? 我慢することは果たして美徳なのか? 頑張るということは素晴らしいことなのか? 馬鹿らしい、そんなことはないはずだろう。
 痛みに耐えてどうなるってんだ。ただ耐えるだけというのなら、それは結局何もしないのと変わらない。いや、それ以下だ。痛みに耐えれば、さらなる痛みが襲い掛かるんじゃないか? どうして何もしないのだろう。ただ、耐えるだけで、痛い痛いと思い続けながらも何もしない。誰かが痛みを取り去ってくれることを待っているだけなのか? そうだとしても、ただ耐えるだけで何もしないならば、誰も何もできないに決まっているじゃないか。
 痛けりゃ痛いっていわなきゃ、誰もその痛みに気付かない。ただ痛み続けて、悪化の一途を辿るだけだ。
 耐えることは決して美徳ではない。それは何もかもを台無しにしてしまうものなのだ。耐えるな、声を上げろ。泣いて、怒って、叫んで、痛みがあることを示すのだ。そうしなければ、どうしようもない。痛みを自力で取り除くこともできなければ、他力で取り除いてもらうこともできない。
 痛みに耐えることが幸せになるための方法とはどうしても思えない。そもそも、その痛みは誰がもたらしたというのか? 痛みに耐えろと声高に語り、それを美徳ならしめたのは如何なる思惑ゆえなのか。耐えろと命ずるのは、裏を読めば痛みを取り除くためのことを何もしないということではないのか。
 愚劣、あまりにも愚劣である。
 痛みに対して求めるものは、「消えてなくなれ」という、ただそれだけのこと。何故にあるがままにし、なすがままにするのか。
 痛いなら痛いと思い、そしてそれに耐えるべきではない。そうすることで、痛みを取り去るために動き出すことができるのだから。

 そんなことを思った今日この頃であった。
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