青二才が青二才なりにやってます。
Posted by ダニエル - 2008.12.12,Fri
世界中にある物事の全部が説明可能で、何時でも何処でも誰にでも何にでも当てはまると思うのは、やっぱり間違いなわけで。
いや、自然科学の分野ならそれはいいんだよ? むしろ、そうすることがその分野の目的なんだし
問題なのは、これを人文科学にまでそうしてしまおうとするところなんだな。
なんで問題になるのかというと、人間がお互いに異なっている存在だということを忘れてしまうから。思想、性格、感受性、そういったものを中抜きして、人間を語るようになってしまうから。
例えば、楽しみと苦しみの条件などを統一しようと思っても無理だろう。運動することが楽しみで、勉強することが苦しみの人がいれば、逆の人もいるのだし。
「はてな」で、幸せな若者を総称して「リア充」と呼んでいる。何となくだけど、これが一元的で絶対的な「幸せの条件」を挙げて、それで自分が幸福なのか不幸なのかを語ろうとするための必須アイテムになっているような気がする。「はてな」の一部の人たちにとって、だけどね。
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「リアル(現実の生活)が充実している状態、またはそのような人物」を指すインターネットスラング。2ちゃんねるの大学生活板から発生し、2007年夏頃にブログやtwitterで流行した[1]。
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そんでもって、大抵は自分が「リア充」でないということを嘆く。何なんだろうね。隣の芝生は青い的な思考。そんなに「リア充」になりたいなら、パソコンを捨てて、何かの学校(英会話学校とかね)とか何かの活動に加われば良いんじゃない? 極端に言えばそうなるよね。
現実で、直接的な人間関係で充実したいのかな。でも、できないから嘆く? そもそも「リア充」的な生き方がその人に合うのかどうかと言う問題だよね。人によっては「リア充」だけど、不幸ということもあるだろうし。
あんまり幸せとか、そういう人によって違ってしまう曖昧なものを、言葉通りにそれしかないという風に受け止めないほうがいいんじゃないかな。
それよか、自分がいま幸せな理由、不幸な理由が何か、ちょっと考えてみて、幸せの理由がわかれば、それを守っていけばいいし、不幸の理由がわかれば、それがなくしていったほうが、確実に自分にとっての幸せになれるよね。客観的に見たら、幸せとは言われないかもしれないけど、主観的に見て幸せならそれでいいよ、きっと。
あれ? 何でこんな話になったんだ?
まあいいや、もう終わりにしよう。
いや、自然科学の分野ならそれはいいんだよ? むしろ、そうすることがその分野の目的なんだし
問題なのは、これを人文科学にまでそうしてしまおうとするところなんだな。
なんで問題になるのかというと、人間がお互いに異なっている存在だということを忘れてしまうから。思想、性格、感受性、そういったものを中抜きして、人間を語るようになってしまうから。
例えば、楽しみと苦しみの条件などを統一しようと思っても無理だろう。運動することが楽しみで、勉強することが苦しみの人がいれば、逆の人もいるのだし。
「はてな」で、幸せな若者を総称して「リア充」と呼んでいる。何となくだけど、これが一元的で絶対的な「幸せの条件」を挙げて、それで自分が幸福なのか不幸なのかを語ろうとするための必須アイテムになっているような気がする。「はてな」の一部の人たちにとって、だけどね。
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「リアル(現実の生活)が充実している状態、またはそのような人物」を指すインターネットスラング。2ちゃんねるの大学生活板から発生し、2007年夏頃にブログやtwitterで流行した[1]。
当初「リア充」の語は、インターネット上のコミュニティに入り浸る者が、現実生活が充実していないことを自虐的に表現するためのものであった[1]。このニュアンスは、従来のネット文化に触れていない、携帯電話を介したネットの利用者たちが流入するにつれ、彼らの恋愛や仕事の充実ぶりに対する妬みへと変化していった[1]。
日経BPの記事[1]では、アンサイクロペディアの「リア充」の項目に列挙されているリア充の条件から、いずれも携帯電話さえ持っていればパソコンを必要としていないことを指摘し、そこから、ネットとは別にリアルの充実に価値を見いだす、ネットとリアルの住み分けが進んでいるのではないか、と分析している。
Wikipediaより*****
実際の現実の生活(リアル生活)が充実している人間のこと。ここで言う充実とは、端的に表すなら「コンパ・サークル活動」である。
2ちゃんねるの大学生活板やVIP板のような、ネット上でヒマを持て余す人たちのたむろする場所で広まり認識された概念。
リアル生活が充実している人間はネット内で憂さを晴らす必要などない ↓ 掲示板を荒らして楽しむ(あるいはやさぐれてみせる)お前はリア充ではないな
というネガティブな意味付けを持っているので、仮に実世界で恋人と幸せだったり友人と楽しかったり仕事が満足いく状況であっても、「オレ最近リア充なんすよ」などと自称すると眉をひそめられるので注意。
大学生活板など学生が多いネット界隈の造語だったが、その後学生以外にも造語として広まる。このような普及の過程において、ネタとして使用する人が増えてきているため、当初のように椰揄の意味を含めた言葉として使っているかどうかは注意を要する。
なお、これの逆の概念は「ネット生活が充実している」であるが、これを口にするとなぜか哀れんだような視線を受ける。
(相対→ネト充)
はてなキーワードより*****
そんでもって、大抵は自分が「リア充」でないということを嘆く。何なんだろうね。隣の芝生は青い的な思考。そんなに「リア充」になりたいなら、パソコンを捨てて、何かの学校(英会話学校とかね)とか何かの活動に加われば良いんじゃない? 極端に言えばそうなるよね。
現実で、直接的な人間関係で充実したいのかな。でも、できないから嘆く? そもそも「リア充」的な生き方がその人に合うのかどうかと言う問題だよね。人によっては「リア充」だけど、不幸ということもあるだろうし。
あんまり幸せとか、そういう人によって違ってしまう曖昧なものを、言葉通りにそれしかないという風に受け止めないほうがいいんじゃないかな。
それよか、自分がいま幸せな理由、不幸な理由が何か、ちょっと考えてみて、幸せの理由がわかれば、それを守っていけばいいし、不幸の理由がわかれば、それがなくしていったほうが、確実に自分にとっての幸せになれるよね。客観的に見たら、幸せとは言われないかもしれないけど、主観的に見て幸せならそれでいいよ、きっと。
あれ? 何でこんな話になったんだ?
まあいいや、もう終わりにしよう。
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