アイアンブ、トローキー、ダクティル、アナペスト、アンフィブラック。こういったリズムの形式がある。これは、西洋の詩の韻脚の種類で、アクセントの強弱によって区別されてる。ということは、これらはあくまで、英語などのアクセントの強弱のある言葉によってリズムを作るための形式だと考えていいんじゃないかってことになる。
んで、日本語用のリズムの形式っていうのを考えなきゃいけないと思う。しかし、どうやって考えたものか。そうだ、向こうのやったことの真似をしようとなる。
wikipediaからでは
和歌の西洋音楽による解釈 [編集]
和歌は、節(ふし)を付けて詠うものとして始まったため、節にのっていれば文字数(音節数・モーラ数)の規定はややゆるい。すなわち、節にのっていれば、五音・七音以外の音節数であっても実質的には「字余り・字足らず」ではない。「字余り・字足らず」という考え方は、詠うことよりも、書き留めた際の定型詩としての美意識から生まれた言葉である。
西洋音楽による解釈では、和歌はテンポの遅い四分の四拍子で、2小節で1セットのリズムを作っている。五音は1リズム(2小節)に5つの四分音符と3つの四分休符、七音は1リズムに7つの四分音符と1つの四分休符を基本形としているが、四分音符・休符の総数が1リズム(2小節)内に8つであればよい(九音の場合、音節数が9なら三連符が一部入る)。
歌体は、これらのリズムの組み合わせや数に依存する。例えば、短歌は2小節1セットのリズムが5つで出来ており、全小節数は10となる。「あきのたの かりほのいおの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ」という短歌は、「五七六、七七」で字余りといわれるが、リズムごとに2小節ずつ区切ると、「あきのた|の・・・」「かりほの|いおの・」「とまを・|あらみ・」「わがころ|もでは・」「つゆに・|ぬれつつ」(|は小節の区切り。・は四分休符)となり、四分の四拍子にのっとっている。なお、休符として書いている部分は、実際に詠む場合には最後の音節が長音となって休符とされなかったり、フェルマータが多用されたりする。
短歌を和歌の詠み方(リズム)から脱して西洋音楽化させた例として「君が代」があるが、この場合は上記のような短歌のリズムから脱し、西洋音楽として美しく聴こえるよう音節を長短させている。一方、「荒城の月」は「七五、七五、…、七五」と繰り返される和歌であるが、和歌のリズムをあまり崩さずに西洋音楽に適合させた名曲である。
とメモ。多分、日本語は英語と違って、発音が音節じゃなくてモーラ(拍)で行われるから、ミクロな点ではリズムの解釈の仕方を適合させるのが難しいんじゃないかなと思ったのがきっかけ。
ちなみに、七五調は優しく優雅な感じを与えることを特徴としている。いろは歌。どんくりころころ。まんが日本昔話。アラレちゃんのワイワイワールドなどが代表的な歌となるか。
また、五七調は素朴で力強い感じを与えることを特徴としている。君が代。忍者ハットリ君? ちょい他の例が出てこないけど、まあいろいろあるだろ。多分。
また、五・七のほかに三も歌詞の中に定型として入ることもありそう。研究の余地あり。つーか雑文過ぎる。
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